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吟遊詩人

1 :そろそろコテハン考えちう:03/11/26 23:05
ねえお話を聞かせて そして 忘れさせて              

頭をうずかせる悩み いらいらをつのらせる不安を

吟遊詩人が 竪琴をかきならして

勇壮で自由な歌を歌っていたころの話

わが主を迎えて 喜びの鐘が鳴りわたったときの話

人々が心豊かで 世界がまだ若々しかったころの話を

道義があたりまえで ごまかしなどめったになかったころの話

男がみんな勇敢で 女がみんなやさしく美しかったころの話

甘いひそやかな音がひたひたと満ちてきて

人魚が髪をとかしているのが 水夫たちにわかったころの話

さあ いらっしゃい お話を読んで 忘れましょう

このせわしない世の中の苦しみといらだちを

                      ロ−ラ・インガルス・ワイルダ−
このスレは吟遊詩人と揶揄されるそろコテの隔離スレです
削除依頼されるのかな…
21世紀に関して皆さんが考えるところを自由に書き込んでください
マターりで…




2 :そろそろコテハン考えちう:03/11/26 23:06
ちなみにワイルダーと言うのは、「大草原の小さな家」を書いたアメリカの人です


3 :名無しさん@3周年:03/11/26 23:06
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4 :そろそろコテハン考えちう:03/11/26 23:09
早速荒らされるとは…
私は朝鮮人の悪口など書いたことないぞ



5 :そろそろコテハン考えちう:03/11/26 23:16
AAというのもかなり特殊な文字ですが今日の朝今の女子高生がメールで
妙な記号のような文字を書いて送っているというニュースがありました
メールを親に見られたくないというのもあると言っていましたが
コメンテーターが「日本語の自由な表現への挑戦だと思います」などと
言っているのが非常に痛々しいと思われました。
一昔前の「汚ギャル」もそうですが、わざと意味不明な文字を書いていると言うのは
ある意味で倒錯的とも思える価値観です
だけれども何が倒錯しているのかわからないこの時代の価値観とは一体なんでしょうか


6 :そろそろコテハン考えちう:03/11/26 23:44
私は大学時代友人にこう言われたことがあります
「情報なり価値観なりが本当に自分で正しいとか言うことが正直わからない。
誰の意見を聞いても正しいように聞こえる。あんたは一体どうやって自分の意見を
正しいと思うのだ」と。
これは大方において正しい意見のように聞こえます。
私たちは一体何が正しくて何が悪いのかがわからないように思えるのです
それは経験のなさかもしれません
しかし経験をいくら積んでも一向に自分の違憲がもてない人もいますし
私たちは若い頃などには「殆ど何も経験が出来ない」ともいえるでしょう
およそ人間の問題意識というのは17,8の時の頃の問題意識を一生引くともいわれます
そうであるなら私も含めて(私は十代ではありません。それ以上は言わないけれど)
問題意識というのが今の教育野中でおよそ形成されるとも思えないのです
(これは別に若い人をバカにしているのではなく、私も同じようなものですから)
それとも現代人というのはおよそ精神構造が非常に健全であると言うことなのでしょうか?


7 :名無しさん@3周年:03/11/27 00:04
>>6
で、自衛隊は違憲かね?


8 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 00:22
書き込みがあるのはうれしいですが
憲法問題は違うスレはないけどね氏のほうが得意でしょ?
(かどうかわからないけど)
私はわかりやすい話がしたかっただけですから(といっても全くの初心者が
2ちゃんねるなんか来るわけないからあんまり意味なかったけど)
それに私は何しろ全くなにも知らないド素人ですからそっとしておいたほうがいいですよ
どうせ私は「何にも知らない」人間なのです
けっこう時間も食うし…
共産板の笑いもの「そろコテ」でいいじゃん


9 :名無しさん@3周年:03/11/27 00:34
おもろい!
歌い続けろ!

10 :名無しさん@3周年:03/11/27 01:03
世間では、共産党そのものが笑いものなんですよ。
まオレもかつて支持者だったが……。



11 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 01:09
香山リカ著「プチナショナリズム症候群」(中公新書)では
現代の「プチナショナリズム」が向かう方向を指摘しています
さしずめ以前は「プチソーシャリズム?症候群」ともいうべき時代であったのかもしれませんが
21世紀の、少なくともあと10年くらいは「プチナショナリズム」の
時代であるのかもしれません。
「価値観が定まらない」という考えと香山リカ氏の指摘とはあまり関係はないのかもしれませんが
しかし価値規範が定まらず漂う様(さま)は「プチ」と言えるのかもしれません
「プチナショナリズム」はナショナリズムの前段階ともいえるのかもしれませんが
日本において深刻なナショナリズムの伸長がある確固とした理由は見つかるようで見当たらない気もするのです
それは、実は日本においてプチソーシャリズムが確固とした基盤を持っていなかったのと同じのような気がします


12 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 01:17
香山氏は「プチナショナリズムの今後」で示唆的な指摘をしています
それは「プチナショナリズムは祭りで解消される」というもので
札幌の祭りを例にとっています。
日本における現代のナショナリズムが過去をばっさりと切っている
「健全性」を有しているとするならば(それは戦後の歴史を全く無視しているともいえますが)
サッカーのワールドカップであっけらかんと「君が代」を歌い、日の丸を見据える
人間達の感性もまた祭りの一つとして解消されうるのではないかと言うものです
それに対する彼女の回答は漠然としたものでしたが、
プチナショナリズムの方向性という現実をどのようにとらえるかは
非常に難しいものだと思われるのです


13 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 01:24
価値観が定まらないのは漠然とした時代には当然のことですが
実は2項対立の単純な構造の中では価値観は単純化されうるわけですから
対立する中でも均衡してゆくというような単純な指摘もあるとも思われます
しかし「プチナショナリズム」が大勢を占め、なおかつ彼らが戦うべき相手を見失っているとすれば
それはナショナリズムへと容易に転化する可能性があります。現実の中での漠然さは殆ど目を被うばかりなのです


14 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 01:36
おそらく本当の現実は私たち(団塊ジュニアといっていいのでしょうか)
の、次の世代になるのかもしれません。
団塊ジュニア世代が価値観がもてないのは「豊かだからです」
というのは誤りですが、親は豊かでその財産をはっきり言えば食いつぶしているわけですから
食っている間はまだ矛盾などありようがないと思うのです。
しかし団塊ジュニアが老年に差しかかるころの時代を考えると恐ろしいものがあります
人口は少ないでしょう
超高齢社会に突入しています
年金はありません
土地は流動化しています
労働問題は殆ど壊滅しているでしょう
経済構造は、アメリカと非常に似通ったものとなるかもしれません
その時、私たちの価値基準は、もしかすると非常に保守化しており
ナショナリズムの伸長におびえなければならないかもしれないのです


15 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 01:49
今後豊かな社会が出現すると考えるのは明らかな幻想です
豊かな社会などどのように考えても答えが見出せないのです
私たちの漂う価値規範はその現実の中で飛躍的に小さなものとなるでしょう

極言してしまえば第2次世界大戦後の世界は戦争で破壊尽くされたものを
新しく作ってきたわけですから、当然経済は発展する床ができたというような
単純な論理は通用します
しかし今後は更に作ってゆくことを強いられる社会です
その時私たちは「今年はダメだったから給料は大幅に少ない。いつまでも
競争しているのだから取り分は少なくて当然だ」というような当たり前の
価値観を果たして受け入れることが出来るでしょうか?
私は若い人を見る限りそのようなことは殆ど受容できないのではないかと思います
昔の人間は給料が少なくてもがむしゃらに働きました。
私たちは労働の対価という言葉をよく知っている人間です
その私たちが「現実だから」何もかも受け入れれば、おそらく全員が、
今よりももっと倒錯的な価値観に浸るであろうことは目に見えています
そしてそれは今現在猛烈な勢いで進行しているのです。


16 :名無しさん@3周年:03/11/27 02:18
どんなに怖がっても死を避けることはできない。
それと同じだと思えば簡単だよ。

17 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 02:42
そりゃあそうだ


18 :そろそろコテハン考えちう:03/11/27 03:42
死を意識した人間は殆どが死を口に出さないでしょう
死を確信した人間はもしかしたら死ぬことを避けることが出来ないと
考えるかもしれません。しかしそんな人間は宗教人かなにかでしょう
生きているのに死を確信している人間はおよそ生きているとも思えません
倒錯とはまさにこのことで、いっちゃあ悪いが私の言うことは
間違っていないようです…
しかしこんな話題は二度と私はしません。

19 :そろそろコテハン考えちう:03/11/28 14:42
西日本新聞に「宮崎駿氏、人工島?事業関与否定」という記事が載っていました。
アニメオタクの私は人工島(博多港?)の事業に関して詳細は知りませんが、その記事を
読んで彼の限界について考えました。
彼は和白干潟の「アイランドシティ計画?」に「賛成し」
「こんな街を作ったらいいんじゃないか」などといって福岡市に
和白干潟埋め立て後の金持ちが住むであろう住宅地に関する詳細なスケッチを何十枚も
渡したと言います。
自然と人間の共生などといって子供からがっぽり金を巻き上げるパヤオ氏には
干潟を埋め立てた後の「共生空間」なるものに「できるだけのことをしてやるのが
理想だ」などとクズのようなことを考えたのでしょうか
宮崎氏の人工島関与の報道がなされてから、おそらくかなりの数の批判が寄せられたのでしょう
その後「迷惑はかけられない」「私はそんなことするとか言っていない」とかいって計画から撤退しています
彼も所詮は権力側の男妾に過ぎなかったのです
しかし彼は昔赤旗か少年少女新聞に連載もしたことがある人間なのにやはり
口だけの人間だったのでしょう(まあ関係ないですが)


20 :そろそろコテハン考えちう:03/11/28 14:52
腐りかけた饅頭を「うまいうまい」と言って食っている連中は寂しい人間です
それは明らかに失敗しているにもかかわらず自分たちの失敗を認めたがらず
無理やりに物事を推し進めようという人間でどこにでもいます
責任の転嫁も愚かなものですが滅び行くものに無理やりしがみつく人間は
みっともない上に有害でさえあります
しかし腐った饅頭を「うまいうまい」といっているのが私たちに奇異に移るのは
明らかに腐っているとわかっているという実感が目に見えてわかるからで
奇異に見えるのであって、それは明らかであるからです



21 :そろそろコテハン考えちう:03/11/28 14:57
しかしもしも「腐った饅頭には実は恐るべき効能があり、下痢をしてでも
体に健康な成分が取れる」などといったまことしやかな風説が流れたとしたらどうでしょう?
もしかしたら私たちはその情報の虜になり、腐った饅頭を「うまいうまい」
といって食べ始めるかもしれません。それは倒錯的な価値観であって、
精神の不健康さを物語っているに違いないのです
この国は肉体よりも精神が腐っています。精神は肉体を規定していることがしばしばあります


22 :そろそろコテハン考えちう:03/11/28 15:05
幾度となくなんらかの風習を守り通した人間達の間には不文律が
存在します。それは精神的なものが肉体的なものを規定してしまい
その風習をやめれば、その部族にとって「死」に至るようなものが
実際に起こるのだと言います
奥村宏氏は法人資本主義という規定をたてた卓越した学者ですが
彼は「法人資本主義」とは「企業とは永遠である」という
会社人間の「不文律」を「株式会社の死に至る病」と書いていますが
それは文字通り会社に勤める人間がいかに精神で規定されているかを
物語っています。と同時にそれは会社から国家へと拡大されていく
ことは必然であるわけです



23 :そろそろコテハン考えちう:03/11/29 20:23
またNHKネタですが「企業の今後」みたいな話があって
スウェーデンかどこかの企業の話が載っていました
日本でそのような企業があるかわかりませんが
スウェーデンのIT企業かなにかでわからないときに企業内の掲示板?、チャット?
か何かで「この問題はどうすればいいのだろうか?」みたいなのを書き込み、
それに関して様々な部門を超えて自由に討論できる仕組みを作っているということが
紹介されていました。そしてその掲示板かなにかで情報を上げ、解決策を見出した
人間は賞賛の目で見られるのだといいます。2ちゃんねるのコテハンのようなものでしょうが
そんな企業像が今後日本の中で展開されるのでしょうか?
というか、あるのかな?そんなものは、今の企業には。私は大企業に努めていないので
さっぱりわかりません


24 :名無しさん@3周年:03/11/29 20:59
それでは、共産党は永遠なんでしょうか?

25 :名無しさん@3周年:03/11/30 20:39
>>1よどこ行った?

26 :そろそろコテハン考えちう:03/11/30 22:49
21世紀のことを考えるなんてそんなにできるわけないですよ
しかも希望のある話が全くない


27 :そろそろコテハン考えちう:03/12/02 13:22
赤旗に「どうなっているのテレビ局」という連載?がありましたが
私は知識そのものの危機であるように思われてなりません
テレビがお笑い番組ばかり流すのは人間の知識欲が明らかに肥大化しつつある事の証拠です
「なんでも知りたい」という人間本来の欲求が開花しているのかもしれません

しかし私は更に考えるのは知識欲が働けば働くほど人間の頭脳は実は退化しているのではないかと思うのです
単純な「情報化社会における情報の選択のあり方」という題目になるわけですが
私たちは旺盛な知識欲から「真実はあるのではないか?」といった誇大な妄想を抱く一方
「真実などはない」という庶民的な感性からももちあわせています



28 :そろそろコテハン考えちう:03/12/02 13:23
>>お笑い番組は間違い
情報バラエティ番組


29 :そろそろコテハン考えちう:03/12/02 13:41
何かの物語ではありませんが情報量が増えれば増えるほど実は
一つの選択を求める傾向にあるのではないかと思われるのです
野口悠紀雄の情報管理論は結局学者の意見であって私たちが
膨大な情報を管理し選択していく方法は何らかの方法で情報を
選択してゆくことしか出来ないのです
そしてその究極は個々人の感性ということになります
しかし個々人の感性が飛躍的に広がるには自由な情報が有効ということにはならないでしょう
結局個々人の完成と言う名の閉じられた範疇の中で情報の選択をしいられる結果となります
知識欲と言うのは確かにあるのかもしれませんが情報の一元的な理解のみが植えつけられてゆく結果が
テレビと言う媒体の視聴率主義へと結びついているのかもしれません


30 :そろそろコテハン考えちう:03/12/03 05:57
私は高校時代現代文の教科書で内田義彦の「正確さと言うこと」を読んで
ひどく感動した記憶があります。国語の教科書などは実は非常に有益なものが多いのですが
私たちはそのようなものに関して目をむけることはないでしょう。

内田氏は「学問の正確さと適度な正確さ」について触れています
内田義彦が講座派を批判した、そして彼がマルクスのことについて
いろいろと話をしながらそういう方向性を向いていたというのは結局
「そういうこと」を言いたかったわけで、彼の良心が学者として、
物事を考えると言う行為をして、発言していることからうかがえるのです
情報に関する「適度な正確さ」というものを持つことが位かに大事か、
それに関して私たちはあまりに無関心である気がしてならないのです


31 :そろそろコテハン考えちう:03/12/03 06:06
「めくじらをたてて学問的正確さをきそいあいつつ、真の正確さから
とおざかってゆくということも大いにありうる、と思われるのである。
学問的な正確さとはなんであるかについて考えざるを得ない」
(内田義彦セレクション1 「生きること 学ぶこと」P15 藤原書店より)

学者の議論でさえこうであるならば、日々選択を迫られる、情報社会で生活している
私たちはなおのこと情報に関する「正確さ」の問題について考えなければなりません
「適度な正確さ」に関する、情報選択のための考え方を身につけなければならないのかもしれません



32 :そろそろコテハン考えちう:03/12/07 23:12
子供の頃に、私は実に奇妙な体験をしました(それは私の世代だけではないのかもしれません)
私の子供の頃は物欲的な価値観が、刺激的で変化に富んだ様々な遊具や新しい
流行が次々と生まれていました。
幼稚園に入園した頃には朝6時に眠い目をこすって仮面ライダーのテレビを見るのに必死でした
(仮面ライダーがはじめて放映されたのが朝6時かどうかは定かではありません。幼稚園性の頃
だからもしかしたら朝8時くらいだったかもしれません)
その次はウルトラマンの怪獣消しゴム?その次は様々なゲーム、ポケットタイプの
ゲームウオッチなるものや、7,8000円でパックマンの簡単なゲームもありました
そして毎週放映されるアニメーション、学校では絶えず流行のおもちゃやアイドル歌手の話
私たちは物質の中で育ってきたのです
始めて貰ったクリスマスプレゼントはドラえもんのマンガ本でしたがそれは
年を追うごとにゲームや顕微鏡、天体望遠鏡などに変わっていきました。
兄弟が多かったうちの過程のことを考えると親は必死だったんだろうと思います


33 :そろそろコテハン考えちう:03/12/07 23:28
でも私たちは物質のあふれるほどの享受の中でも毎日昼休みなどは全校生徒の殆どが
せまいグラウンドでゴミみたいにひしめき合ってドッジボールや鬼ごっこをしていました
放課後はキャプテン翼や巨人軍の影響を受けてサッカーや野球をしていたし
団地の中では常に派閥があってその派閥が合同で様々な遊びを考えて街中全部を使って
鬼ごっこをしたりしていました。
夏休みには大学生がボランティアで田舎にお泊り付き添いをしてくれ
変な劇団の公演や反戦映画の上映に親といっていたりしていました
多くは馬鹿馬鹿しいものでしたが、物質があふれているのと同じくらいに人と人との
結びつきや様々な形でいろいろな人間との交流がありました。
養護老人ホームで暮らす老人と文通をしてその老人がいるところに行き、
海に面していて高いがけの上にあるそのホームと老人のベッド上での姿が郷愁を誘い、
老人の孤独がわかったのかもしれません。全て私たちの生活はあらゆる面で刺激に満ちていたのであり
それを支えていた親達や様々な人間達に感謝の念も持たずに過ごしていました
それは何故かというとそれがある意味で当然だったのであったと勝手に思っていたからかもしれません
時代は変わってゆくということになるでしょうが
21世紀になってこんなにも世界が変わったと感じるのは単なる時間の推移だけではないのではないでしょうか?
それは明らかに何かを捨て去ってしまったのであり何かを否定した結果が
こんなものになってしまったのではないでしょうか?
今の時代を否定することは出来ないでしょう。しかし私たちはあまりにも身勝手に
何かを葬り去ってしまったのではないか?何を背負って私たちは生きてゆくのか全くわからないのです


34 :そろそろコテハン考えちう:03/12/07 23:35
今の人間は多くの人間からいろいろなものを無償で受け取ってきました
しかしその当の本人達は身勝手に振舞っています。
私たちの拠るべきものは何もなく過去をあたかも古びた遺物のように
バカにしています。私たちは過去から比べれば多くの時間と価値をもっているにもかかわらず、
です


35 :名無しさん@3周年:03/12/08 20:21
ハンプティ・ダンプティが壁の上に座ってた 
ハンプティ・ダンプティがどーんと落ちた
王様の騎兵をみんな集めても
王様の歩兵をみんな集めても
ハンプティ・ダンプティは元には戻らなかった

36 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :03/12/08 20:55
そのうちみんな、「進行性農夫(農婦)症候群」に陥って、都市の農村化
が行なわれると思われる。

パールバックの大地を思い出しながら。

37 :そろそろコテハン考えちう:03/12/08 21:19
スローフード運動というのが何かは私は全くわからないし興味もありません
しかしファーストフードというのは何もマクドナルドのハンバーガーに限らず
全てがファーストフードとなりつつあります。
昨日世界ウルルン紀行でスローフードをやっている家にホームステイするというものでしたが
そこでホームの主人が実践したスローフードは、簡単、シンプル、しかし以前から親しまれてきたもの
、伝統に裏打ちされた料理ばかりだったようです。
その意味はどういうものでしょうか?
水上勉のエッセイ「土を喰らう」?で水上氏が食を語るときに自分の親父が
仕事で山に入ったとき、山で取れるものに自家製のミソを塗って食べていたのが
子供の頃はひどく貧乏くさく不愉快だったが実は食というのはそんなものではなかったか
というような話をしていました


38 :そろそろコテハン考えちう:03/12/08 21:24
21世紀の日本の食はどのように変わるかわかりません
しかし全てを捨て去っている日本の食、私たちの生活にもはや未来はないように思います
食を私たちは都合の言いように選択し、垂れ流すように食べるでしょう。
しかしそんな生活を送っていてもいつまでも満たされないに違いないのです
食べても食べても恐らく今の人間は腹がすくに違いありません


39 :そろそろコテハン考えちう:03/12/08 21:37
私は右翼の教授がイギリスの老人の話をしていた時考えました。
彼がいうにはイギリスに行った時、昼ごはんをごちそうしてもらったことがあるが
フランスパンと紅茶だったということです。彼はそこから
「イギリスがいくら福祉国家であるなどといっても日本と比べれば貧乏極まりない。
昼ごはんにパンと紅茶だけの国などクズに等しい。日本は豊かだ」
といいました。しかしその老人は本当に「貧しかったのでしょうか?」
彼は彼の生活に満足しており、昼ごはんに食べるフランスパンにジャム、
そして一杯の紅茶で十分満足していたのではないかと思うのです。
(右翼教授の話は無理やりな話が多かったのでこの話もあまりきちんとしたものにはなりませんが)
ところが日本ではシンプルで満足のいく食事を語るとき、あのなつかしく馬鹿馬鹿しい
「一杯の掛けそば」のように、なんとも知れない怪しげな感動話に仕立て上げなければ
受け入れられません。私たちが一杯の掛けそばで満足するわけはないのです。
日本人がスローフードを受け入れたとすれば、スローフードを際限なく貪り食う姿が
目に浮かぶようです。そしてそのうちスローフードを安く、スピーディーに提供しだすかもしれないのです


40 :そろそろコテハン考えちう:03/12/13 01:29
週刊アスキーのコラム「地球村の事件簿」では未来社会に関する様々な議論が展開されています
面白かったのは猿に電極をつけ遠隔で物を動かすという実験、思考するだけで動かせるようになるかもしれない動力の可能性でした
日本はロボット大国といわれますが、そのモチーフはあいかわらず「鉄腕アトム」
電脳ということが言われ、アンドロイドをイメージしているようです。

機械の支配と人間というイメージはSF世界だけでなく様々な形で社会批判として脈々と受け継がれてきましたが
アメリカではカーネギーメロン大学のハンスモラビックなどが実際に50年後のロボット世界を描き出しています
それは人類から機械人への必然的な「発展」の形態であって、SF世界のもっとも着実な表現と共に
機械対人間という文明批判からは程遠いイメージです。機械の発達が人間の発達にまで必然的に規定されるかどうか
という問題はべつとして、人間社会の発展を機械文明が追い越す形で実際にイメージできるくらいにまで人類は到達しているのかもしれません
夢を追う形でのロボットの研究は、日本においてもっと推奨されなければならないのかもしれません。
ハイテクなどというものは夢を追うか、軍事的技術の進歩のための絶えざる進歩でしか発展しないとも思われるからです。
日本は軍事国家ではなく意味のない夢を追う人間達が意味のないような研究開発をしていくことで産業の発展が出来るのかもしれません。
実際それのほうがいいに決まっているのです。


41 :そろそろコテハン考えちう:03/12/13 01:46
鎌田慧は自動車絶望工場を書く中で
車社会の脅威を語っていました。彼の言わんとしたことはもっともなのに、
トヨタとは違うにしても、ホンダの社長が死んだあと本社に花束が添えられたのはなぜか?
ドイツでは市内の電車が新しい、より発展した形のものがあるのに日本のチンチン電車は
古臭く見え不便としか捉えられない。一方で電気自動車なるあやふやなものや
リニアモーターカーなどはあたかも未来を象徴しているかのようなものに見える。
全ては夢の語りかたの違いのような気がします。
風力発電?は最近やたらと夢が語られますがそれが本当のものかどうかなどわかりません。
現実の転換というのは、やはり非常に難しいもののようです


42 :名無しさん@3周年:03/12/13 21:34
私は生協と日共と日教組と原水協に絶望したけど。
それから日教組の牝牛になりはてた文部省だね。

43 :名無しさん@3周年:03/12/14 07:39
>>40
> 面白かったのは猿に電極をつけ遠隔で物を動かすという実験、思考するだけで動かせるようになるかもしれない動力の可能性でした

おしいな。
どうせならサルに電極をつけ遠隔でサルを動かすというほうがおもしろい。
思考させることによって動かせるかも知れない動力=サルの可能性。
ゾクゾクしちゃうね。

人類はさまざまな支配の道具を生み出し使ってきた。
だけどキーボードの入力によって直接思考をコントロール出来るならば
究極の支配の道具を手にすることになる。
動物実験は良いけど人間による臨床試験は難しそうだな。
人権問題が当然絡むだろうし。
「人権」「人権」とうるさいやつにこそ電極を取り付けたいんだろうが・・・

44 :そろそろコテハン考えちう:03/12/14 18:35
思考をコントロールするのは物理的な方法では無理なのかもしれません
マインドコントロールは実際にあると聞きますが思考というものをコントロールするのではなく
「ある状態にする」ことで思考を停止させる事のように思います
思考に関するメカニズムと方法論は電極というようなものではなく、
その奥の、量子的な部分になぞが隠されているかもしれませんが、量子のなぞを解くということは
物質の生成についての飛躍的な考え方の深長であることは事実です
>>動物実験は良いけど人間による臨床試験は難しそうだな

義足、義手の分野では運動の電極的?なメカニズムを利用して全く新しいタイプの
パワーアシストシステム?のようなものが研究されつつあるという話をどこかで聞いたことがあります
ロボットの工学的理解はあんがいそのようなところから生まれてくるのかもしれません。

45 :そろそろコテハン考えちう:03/12/16 23:18
環境問題は深刻であるということは皆理解できますが一体ドレくらいの深刻さであるか
見当もつきません。また環境問題を考え出すといろいろなフレームワークも考え方も
あるのでしょうが、その全てに答えることは、市民?国民?住民?レベルでは全く見当も付かないのです。
しかしわかりきったことがあります
川がないということです。私が小さな頃どぶ川みたいなところで汚い蟹や鯰やをとっていましたが
それは石垣の堤防のようなものでした。しかし今ではそれもなく、川はなくなって
コンクリートで囲まれた溝があるだけです。川は死滅しているのです。それを嘆くのは感傷なのかもしれません。
しかしビジュアルとしていかにどぶ川であってもそれがコンクリートで埋め尽くされた
溝になってしまったらその感傷はひどく大きなものになります。
もしもこのどぶ川に「鮭が泳いできたら」などと想像するのは楽しいものです。
それはひどく市民の感傷的な論理に訴えるからです。景観とはそんなものであるきがしてなりません。


46 :そろそろコテハン考えちう:03/12/16 23:26
近自然工法というものがありますが、それは自然に関する私たちの感傷を
いくらか汲み取ったものであるかもしれません。川がその姿をとどめて
流れるさまは従来の公共事業に比べれば市民の偽善を満足させるかもしれないのです
コンクリートで埋め尽くされた川は川ではありません。近未来社会が汚らしい汚物と
配管に埋め尽くされるよりかは、一昔前の感傷に浸るほうがどれだけマシでしょうか


47 :そろそろコテハン考えちう:03/12/20 19:00
今朝の毎日新聞6面に「平和立国の試練特集 識者座談会」なるものがあり
(財)日本総合研究所理事長の寺島実朗氏の寄稿がありました。
三井物産出身である彼が一体どういう意図で発言しているのかわかりませんが
(世界とかにもやたら出ていた)、彼の議論は、私が憲法論議で「下らん」と
言われたようなことと非常に似ていました。
その中で特筆すべきは日本の国際貢献、自衛隊のあり方について述べているくだりです
「今、日本がすべきことは、国際平和協力が必要な事態が起きるたびにその場しのぎの
法律の制定を繰り返すのではなく、こうした戦後復興に取り組むための新制度を真剣に設計することだ。
この制度への参加を志願する自衛官は、所属部隊を一時的に離れて主体的意思で参加することが出来るように
すればいい。この方法は、海外で軍事展開しないという憲法の精神にもかなう」

と述べていることです。
何より彼の言いたい事の骨子は「自立した外交必要」ということであり、その一点での、
日本の変化を望んでいるということではないでしょうか?
彼の「9・11テロ後の自衛隊派遣、そして今回のイラクへの自衛隊の派遣で、国際社会が日本に抱いたのは、
日本という国は憲法という国家の行動基準である法律の解釈でさえ、国益という言葉や時代の空気の中でいかようにも
変質させる、行動の原則のない国家という印象だろう」という言葉は、
「憲法9条を有しながら、こうした米国とどう距離をとるかを考えずに、ひたすら
米国を支持してきた。対米支援の本音を国際協調とごまかして言い換えるわい小で危険な
人々が、北朝鮮の脅威を誇張して米国についていくしかないといい続けているのは、
まさに知的退廃でしかない」という言葉を真剣に考えるにおいて、また
自衛隊という、憲法と矛盾した歴史的な産物をどのように考えるかに対する一つの議論ではないでしょうか?


48 :そろそろコテハン考えちう:03/12/20 19:09
改憲論者が憲法と矛盾するから、という論理はまさに
開戦期待論者の論理です。そして日本は曲がりなりにも憲法9条という
存在を半世紀近く保持してきた。その歴史からいきなり飛び越えることは出来ないのです。
平和ボケなどという人間は、戦争を肯定することなど出来ないでしょう。


49 :名無しさん@3周年:03/12/21 10:08
>>46
お前にとっての偽善とは何だ?
「自然に関する私たちの感傷」を
偽善と呼ぶのか?
だから偽善を否定するべきではないんだというんだな。

お前は自分自身と向き合うことを拒否している。
現実が見えていながらそれを受け止めることが出来ないんだ。

一昔前の感傷にふけるのは別に否定しない。
だが、河川がすべてコンクリートの板で蓋をされ
汚物の一緒に流れる下水管でしかない時
その現実を見ようともしないで
美しい小川が流れているというのなら
俺はそれこそが偽善であると考える。

現 実 を 受 け 入 れ ろ !

50 :そろそろコテハン考えちう:03/12/21 10:48
私が考える偽善とは
>>河川がすべてコンクリートの板で蓋をされ
汚物の一緒に流れる下水管でしかない

のを「これが現実だ!よけいなこというな!」などという機知外のことです
私は近自然工法は、これが現実などとふんぞり返っているバカどもに対して
「でもこんなのもありますよ。ちょっといいかも」と言っているわけで
偽善がどういう意味か私にはわかりませんが
「現実を受け止めろ」とか言って偉そうにしている人間のほうが不愉快です
お前なんぞなんにも出来ないクズ野郎のくせに偉そうにすんなよな、って感じ


51 :名無しさん@3周年:03/12/21 10:53
最近一皮むけて面白くなったね、レス。

52 :そろそろコテハン考えちう:03/12/21 23:18
>>お前は自分自身と向き合うことを拒否している

私は自分の意見を言うのに自分自身と向き合ってなどいません。
別に人に後ろ指指されるようなことも書いているわけではないのでね。
議論べたな人間は自分の言葉に全人格を投影しようとします。それは日本人が
情報というものに対して極めて閉鎖的な感性を持ち合わせているということなのかもしれません
別にディベートを授業に取り入れろとかいいませんが(そんなことしたってなんになるわけでもなし)
小さい頃からもっと議論というものをすべきではないでしょうか?


53 :そろそろコテハン考えちう:03/12/21 23:23
そのためには、やはり読書をすることが大切だと思います。
読書だけしろとかは言いませんが、頭でっかちにならないためにも
やはり読書というのは、しておいて損にはなりません。
子供は外で遊べとかいう勘違いな大人もいますが(そういう人間に限って
「英語だけは、今後の日本では重要となるから学ばせるべき」とか言ったりします)
読書というのが、あまりにも不自然になっている事に関してもうすこし考えるべきかもしれません。
子供の頃本を読むのがそんなに苦痛だと感じるのは、あきらかになにかがおかしい
のだろうと思われます。

54 :名無しさん@3周年:03/12/21 23:33
>1なんかの宗教の勧誘ですか?それなら無駄ですよ。私たち埼玉共産党員は神を信じませんからね。

55 :そろそろコテハン考えちう:03/12/21 23:35
最近の子供の教育についての議論は迷走の一途をたどっているのかもしれません。
小説の書き方?という本を書いていた高橋源一郎氏は「学校の教育で重要なことは
学校に行って、一定の時間我慢してあることに関して学ぶ事が大事だ」というような
ことを書いていて、小説の書くという作業もこれに似ています。というようなことを書いていますが
小説を書くという、特異な分野での考え方としては当然かもしれませんが(なにしろ
好きだから早速書いてみるというのでは、確かに小説など書けるはずもなく、小説を書くということは
自分の書きたいことを捉える膨大な忍耐の作業がいるということは理解できます)
もちろん教育の「場」においての考え方としてはあるのかもしれませんが
全てが忍耐の場である今日、そのようなことをいう必要もないと思うのです。


56 :そろそろコテハン考えちう:03/12/21 23:44
内田義彦の随筆?に「トンボ取りの少年」という話があります。
トンボを採るのが好きな少年をその行為が嫌いになるようにさせるのは簡単だ。
その少年に毎日毎日「トンボを採って来い」と命令すればよいというものです。
これは彼が人間に対して深いかんがえかたをもっていたという証拠です
それは一面的に捉えることは出来ません。トンボを採ってくることを強要される
ことの無意味さを理解するべきです。
そして重要なのは様々な場を、あらゆる形で様々な場面で、いろいろな人が提供するということなのです
それほど教育というのは全人格的なものであり、一面を強調することは無意味なのです


57 :そろそろコテハン考えちう:03/12/22 11:58
赤旗に文芸春秋2004年1月号の奥田日本経団連会長の論文の記事が載っていました
表題は「少子高齢化日本の未来死に物狂いで成長を実現せよ」だそうです
彼が本当に書いたのか、表題は彼がつけたのかわかりませんが、少しでも
「高齢者問題」に対して彼が関心があるのならば「高齢化社会」などと言う言葉は
使えないはずです。
高齢化社会とは人口の老人の割合が7パーセントを超えた社会であり1970年に
とっくにすぎており、現在は日本は「高齢社会」になっているのです(高齢社会とは
老人の人口が14%超)
もうすぐ日本は「超高齢社会」になります。厚生省の試算では2050年には
高齢者の人口が38.7パーセントとなるとしています。
高齢化、高齢のことをもちろん相対的に高齢化ととらえることもいいでしょう。
しかしキチンと考えれば日本は「超高齢社会」にむかっているのであり、
それを後ろ向きに捉えないならば、すくなくとも「長寿社会」というような表現を使うべきではないのか?


58 :名無しさん@3周年:03/12/22 11:59
http://www.mxtv.co.jp/romance/index.html



59 :そろそろコテハン考えちう:03/12/22 21:00
>>54
埼玉共産党とか全然知りません


60 :名無しさん@3周年:03/12/23 00:22
他スレッドで埼玉共産党のこと結構書いてあったから見てみればどうですか?

61 :名無しさん@3周年:03/12/23 00:47
58 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:03/12/22 11:59
www.mxtv.co.jp/romance/index.html


ウゼーな鮮人よぉ!

62 :そろそろコテハン考えちう:03/12/23 00:52
あの、どうせなら21世紀について考えるところを書いて貰えんでしょうか?
私以外に書き込まないのもなんだかさびしいし…
「マボべ ソン」とかあんまり聞きたくないし…


63 :そろそろコテハン考えちう:03/12/23 01:05
朝鮮ということでいえば高校生の頃怪しい経験をしました
高校生の頃私は柔道部にいたのですが韓国から留学?に来ている人が
柔道部に留学期間中入部していました。
大変律儀な方で柔道のほうは非常に粘りがあり、私などは彼の粘りを
大いに見習わなけりゃならんといつも思っていました。ただ、彼は勝負に
非常にこだわりがある結果、日本の柔道のスタイルとは(そこまでいえるほどでもないけれど
素人でも、なぜかわかりませんが、日本と韓国の柔道のスタイルは、やってみれば
どこか違うのです。

64 :そろそろコテハン考えちう:03/12/23 01:05
一部の先輩や、あんまり強くない先輩はきつい練習も手伝ってか
そのうち留学生とやりたがらなくなり、柔道のスタイルや、あげくの果ては言葉使いまで
ひそひそ陰口を言い始めました。いつもは優しい先輩達がそんな事を言い始め、
いつもコワモテで後輩いじめをしていた先輩は、彼の柔道の粘りを見習え見習えと
言っていましたが。
民族の違いというのはなんとも不思議なもので、一度違和感が生じると留学生の律儀な態度が
かえってその違和感を増幅させたりして、その留学生の先輩(一つ年上だった)といつも
練習をしていた私はなんとも肩身のせまい思いをしました(私自身は非常にやさしい
すばらしい人だと思っていましたが)


65 :そろそろコテハン考えちう:03/12/23 01:10
日本人は閉鎖的な人種というのは間違いないようです
私などは大学時代英会話の先生にいつもターゲットとされて冗談を
言わされていましたが、私自身が閉鎖的だったのか、彼の開放的な性格が
どうも「性にあわず」いつも辟易していました。そんあこんなでなぜか
英会話の成績はよくありませんでした。
民族の問題といっても結局は個人の資質の問題という気もするし、なかなか
難しい問題のようです。

66 :そろそろコテハン考えちう:03/12/23 02:20
日本の原油輸入の国別割合を見ると
1アラブ首長国連邦(22%)
2サウジアラビア(22%)
3イラン(12%)
4カタール(10%)
5クゥェート(7%)
6オマーン(6%)
7その他(5%)
8インドネシア(4%)
イラクは0.3%だそうです。
国益論は盛んですが、今後日本がイラク石油利権を手にするつもりなのか?
しかし冷静に考えれば、0.3パーセントの割合を飛躍的に拡大することが出来るのか?
サウジアラビアも、アラブ首長国連邦も「政府としては軍の派遣を否定」している地域に
堂々と軍を出すことの正当性がいつまで確保できるのか?
大量破壊兵器が見つからなければいったいどうするのか(見つかったら見つかったでそれは恐ろしいことですが)
国益という言葉を簡単に口にする日本人はその意味を本当に理解しているからこそ派兵に反対しているのではないか?
21世紀の日本はよほど慎重にならなければ、国益なるものの考え方もまったくうそ臭い、アジア共栄権ナみのうそくささが漂うのではないかと思われます
エネルギー政策に関して日本は原子力の事故ばかり起こすような、そんな適当な人間ばかりがいるにもかかわらず
えらそうに居丈高に「お前ら日本はエネルギー依存国家だ」などという。
極めて恐ろしい国のようです。この国は。大事なことを手を全く打たず、うそ臭い
プロパガンダだけはやたらと振りまいているのです。


67 :名無しさん@3周年:03/12/23 05:15
柔道やっていたのか・・・
線が細いのかと思ったけど体育系なんだ。
やっぱ50みたいなレスの方が面白いんだけど。



68 :名無しさん@3周年:03/12/27 22:01
SOLO小手皿仕上げ

69 :そろそろコテハン考えちう:03/12/28 00:43
NHKの映像の20世紀再放送
私は当時は全く面白くないと思って見ませんでしたが
今見てみるとなかなか面白いようでした。
20世紀が戦争の世紀であったことと戦争が今後もなくならないであろうことは
見る印象から考えるしかありません
私たちは朝鮮戦争のように「平和を愛するが、同時に自由を愛する」と鼓舞されなければならない
環境に果たしているでしょうか?朝鮮戦争に出征するアメリカ人の姿に太平洋戦争のような姿はなかった
というのはNHKの抑揚した言い方であると、前向きに捉えるべきでしょう。
人類の幸福に対する恒久的な努力はもはや大国の利害という20世紀の枠組みを
超えているのではないか?そういいきることにもうすこし自信を持つべきです。
なぜなら現実に起こっている事象は全て検証可能であり、誰もがその情報を知ることが可能だからです


70 :そろそろコテハン考えちう:04/01/06 02:12
毎日新聞というのはなかなか感動的なものを提供する人が多いようです
昨日の社説に掲載されていた河井酔茗の詩は私の胸に響きました
「子供たちよ/お前たちは何も欲しがらないでも
凡(すべ)てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり/
譲られるものは絶えません。
 輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれない書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。

 世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造つてゐます」



71 :そろそろコテハン考えちう:04/01/06 02:26

毎日新聞の社説はこの感動的な詩を掲載してそのあと
「負の遺産」をキーワードに倒錯的な主張に続くわけですが
河井酔茗の詩は親から子への自然な感情を歌っています
ゆずり葉の自然なありようから子供たちへの親の愛情と自然の感情を
歌っているのです。
私たちが捨てたものはこの感情といわざるを得ません
皆が自己の保身の時代
子供たちへ愛情を注ぐ人間など恐らく誰一人いないでしょう

72 :名無しさん@3周年:04/01/06 23:17
>>71
> 皆が自己の保身の時代
> 子供たちへ愛情を注ぐ人間など恐らく誰一人いないでしょう

オマエガナー


73 :そろそろコテハン考えちう:04/01/10 00:14
自己保身と強者と優越感と奢侈
これはおそらく皆同じ底流で繋がっているように思います
私は自己保身という言葉が嫌いでした
大学時代に読んだ「ジェームズ・ジョイス」のダブリン市民は
「ダブリンとダブリン人を題材にして、幼年、思春期、成人、もしくは老年の人間
によって、愛欲、宗教、文化、社会にわたる『無気力』(麻痺・パラリシス)の状況を
鋭敏に描いたもの」(新潮文庫「ダブリン市民」ジョイス/安藤一郎訳 解説より)
という言葉を見なくとも、すぐに小説の意味するところがわかりました(小説はずいぶん後から読んだので
あまり理解できませんでした)。
当時の大学というものに、今以上に(今の大学が活気があるのか私にはわかりません)
「無気力・麻痺」を感じていた私は、自己保身という言葉がどうしても受け入れがたいものだったのです。
それは恐らく若い人間が誰でも持つであろう感覚であることは理解は出来ましたし、昔の人間が聖人君主であることなどありえないからです
しかし、自分の生きている時代のどうしようもない無気力と麻痺に対する感覚、
そしてそういう人間達が決まって口にする強者の論理的な感覚、そして…自己保身
受験戦争の時代とは一体どういう時代だったのかというと、結局は強烈な自己保身の塊のような人間を
大量に作り出しているのではなかったか?
競争はなくならないでしょう。しかし自己保身が前向きであった、よりよきことである
と考えられるようなことは何一つありませんでした
自己保身とは、まさに自己をまもる「ため」だけのもので、根底にあきれるほどの
「無気力」と「麻痺」が横たわっていたのです。
私は、自分の感覚を今でも間違っていないものであると思っています。



74 :そろそろコテハン考えちう:04/01/10 00:40
日高六郎のことを知っている人間はもはやほとんどいないのではないでしょうか?
彼の岩波新書の「戦後思想を考える」という本を高校生の頃読んだ私は、今でも彼の
言葉を鮮明に覚えています。人間の知的な興味は学生あたりに感じたものを一生追う
という話を聞いたことがありますが、私は日高六郎がどういう人間でどういう分野の教授かなども
全く知りませんでした。
「平和のためにこそ、自衛隊の増強は必要だ。民主主義のためにこそ、
治安立法は大切だ。独立の為にこそ、自主憲法は制定されねばならない、
生活の向上の為、労使は協調しなければならないと。世の中が複雑になった。
日本の戦後は『富国』のうえに成立した。『富国』が達成された時、政治家達は新たな
『強兵』を考え始めている。それを管理社会化のうえにつくろうとする」
(岩波新書 日高六郎著 「戦後思想を考える」より)
管理社会に対する考え方は私にはわかりません。しかし私には彼の言葉が今も正しいと信じています。
「最近の若者は、優しさを人間的価値の一番にあげている。
『正しさ』や『賢さ』にはあまり興味を示さない。『正しさ』や『賢さ』の価値を認めようとしない
若者達は、『やさしさ』のとりこになっている。優しさとは従順という言葉に置き換えられる」
日高六郎の言葉は、ネットで検索できるので、けっこう知っている人間もいるのかなとも思い、ちょっと
安心しました。彼はエーリッヒ・フロムを紹介したそうです



75 :名無しさん@3周年:04/01/11 00:12
タダメシ食ってる負け犬は共産革命の最大の障害ですが。


76 :そろそろコテハン考えちう:04/01/11 16:13

面白いことに私は他人に向かって「あんたはただ飯を食っているだろ?」など
言いません。何故ならそれは意識の中にないからです。それは私がキチンと働いて
生活をすることが当然の意識であるから、考えないのです。他人にこのようなことを言う人間は
何らかの形でそれが意識されているから(もしくは彼自身がそのような境遇にあるのかもしれません)言葉に出るのであって、
言った言葉が図らずも彼の意識を表しているのです。

77 :そろそろコテハン考えちう:04/01/11 16:20
地域社会の崩壊、教育の崩壊、どちらも深刻な問題のように感じられます
「従順」と評された「若者」が引き起こす問題、その多くは「社会性のなさ」
であり、地域社会の崩壊も、教育の問題も、社会と人間との結びつきの希薄さから
生まれてきたことなのです。
多くの若い人間の話を聞く限り、私はその価値観が倒錯していることに驚かされます
従順な人間は社会と自分を「切り離した」人間であり、その倒錯性が教育の崩壊を
もたらしているかもしれないのです
では、このような問題を解決するにはどうしたらいいのでしょうか?
多くの人間はその方策について知りえています。そしてそれらが語られています。
それは義務を強制とすることなのです


78 :そろそろコテハン考えちう:04/01/11 16:27
そしてそれは多くの場合、意味がないようです。
なぜなら強制することの意味など、どのように考えることも出来ないからです
なぜくだらない英単語を覚えなければないのか?古文の文法を覚えbなければならないのか?
しかし、英語の文を読むには、単語を覚えなければならないのであり、単語がわかれば読めるようになります
日本語をかけるようになるには日本語を覚えなければならないのです
教育という問題の、捉え方の、非常に重要な点がここにあります


79 :そろそろコテハン考えちう:04/01/11 16:32
地域社会の崩壊も、それは何故起きてきたのでしょうか?
それは地域に住む人間が地域に無関心になったからであり、地域社会を
支えようとしないからです
そしてそれには理由があり、その理由は多くの場合正当なものなのです


80 :そろそろコテハン考えちう:04/01/11 16:38
子供たちに社会性を植え付けることは容易です。それは子供たちに社会にはいってもらえばいいのです
例えば高校生に福祉施設にボランティアに入ってもらうとしましょう
もしくは1月でも観察にいってもらうことをするとしましょう
それだけで子供たちは高齢化社会の矛盾点を全て理解することでしょう。
環境問題についてもそうでしょう。ほとんどの分野で。
何故この国は中学校から就職まで大多数の子供が遊んでばかりいるような社会を容認しているのでしょうか?



81 :そろそろコテハン考えちう:04/01/20 23:02
日経スペシャル「ガイアの夜明け」で「世界教育戦争」、アメリカ、中国、日本の教育を紹介していました
「知は力なり」という言葉の意味が、教育に関する問題を提示していました。
最後にナビゲーターが「子供たちに夢を与えることが大事です、大人達も考えないと」といいました。
経済発展する中国、日本に経済を追い越され、危機感から教育改革を始めたアメリカ、
日経ということを考えれば、経済絡みの話から持っていくのは当然かもしれませんが、
番組で最も理解できたのは「子供たちに夢を与えること」ということでした



82 :そろそろコテハン考えちう:04/01/20 23:10
私たちも含め、大人は子供に「夢」を与えることで、教育に関わらせてきたでしょうか?
そして日本の経済も含めた社会は「夢」を与えるようなことを、子供たちに教えたでしょうか?
学校の先生たちも、親達も、子供たちも、目に見えていたのは「高学歴社会」という
非常に漠然とした言葉ではなかったのか?
教師は子供に何のために勉強させようとしたでしょう
親は子供に何を教えたでしょう?
そしてなにより子供たちは一体どういった夢を持って、勉強をしていたのでしょうか?
私は、どれも教育は結局のところ「これをすればいいんだ」という、
非常に教条的で意味のない、夢のないことを、そして全ての話が
現実と夢想を行き来していて、本音と建前ばかりの、馬鹿げた話ばかりをしていたのではないでしょうか?


83 :そろそろコテハン考えちう:04/01/20 23:16
夢がない
これは日本の、全ての分野に横たわるテーマかもしれません
しかし私たちはこの問題に対してどのようなスタンスをとるのでしょう
日本が自衛隊を海外に派兵して軍事協力をする、しかしその意味は
アメリカ流の現実も、中国流の国家観も、ありません。そしてそれを是とする
土壌が、日本にあるとは、とても思えないのです
経済に関しても同様です。移民国家アメリカの必然もありません。結果
いびつな形でのナショナリズムがはびこっています。そして、それは
決して夢とはいえないのです。


84 :そろそろコテハン考えちう:04/01/20 23:19
日本が軍事大国化し、海外派兵をする、それが「誇らしげなこと」
これは旧世紀の遺物でしかありえないし、それを夢とすることは
私は出来ないと思います
私たちは日常のことから夢を、子供に語るべきではないでしょうか?


85 :ねっ(w ◆hu.lPvKgI. :04/01/21 22:38
だから俺が聞いただろうが!
子供たちにどう「平和憲法」を語るのかって。

>現実と夢想を行き来していて、本音と建前ばかりの、馬鹿げた話ばかりをしていたのではないでしょうか?

分かっているんじゃないか。
外国を信頼することなく原爆で脅しながら「平和」を押し付ける
アメリカ軍との軍事同盟のもとで
戦車や、戦闘機で武装した自衛隊が
いざとなれば戦争をするぞというこの国で
何が平和憲法なんだ?

軍隊を持つこの国で子供たちにどうやって憲法を語ろうというんだ?
頭破裂するぞ、子供たち。

子供たちには建前と本音の使い分けなんて出来るわけないし
理解することもできはしない。
正直にいうべきだよ。
国は大切なものだ。国民の命よりも大切だ。
国のために戦争することは大切なことだ。
戦争するためにこの国は軍隊をもっている。
そのことをこの国の国民は疑問に思ったりしていない。
外国はこの国を攻めようとしている。
外国を信頼してはいけない。
銃を持ち、脅かしてはじめて平和を維持できる。
人を殺すことは時と場合によっては正しいし、そうするべきだ。

子供にそういえよ。
護憲派だろ?

86 :そろそろコテハン考えちう:04/01/22 00:24
…憲法論議はめんどくさいんだけどなあ。素人だし…
子供たちに、夢を語ることは簡単です
「この国には自衛隊という軍隊がある。でも自衛隊は太平洋戦争で過ちを
犯したことを教訓に、平和憲法を制定した結果、戦後は戦争をしていない、
これは素晴らしいことだ」と
>>アメリカ軍との軍事同盟のもとで
戦車や、戦闘機で武装した自衛隊が
いざとなれば戦争をするぞというこの国で
何が平和憲法なんだ?

日本は平和憲法を持っているから、いつまでもアメリカが正しいというのはおかしいと思う
平和ほど尊いものはないと思う、なぜそういえない?これが平和主義者の本音ではないのか?
なぜアメリカに従うことが「正しい」というのか?これは本音だろう?
アメリカと戦争をするわけじゃない。戦争はいけないとはっきり意思表示することが出来ないほど
日本という国は弱い国なのか?それをプロパガンダとしていうのではない、
それを実感としていうことが出来ないのか?

87 :そろそろコテハン考えちう:04/01/22 00:33
人が殺しあうことを是とする議論が本音と建前だということはおかしい
それは倫理の問題だ。
日本が社会的に荒廃していると、考えるとするなら、その多くの問題は
社会の矛盾、それをそのまま子供に押し付けているからではないのか?
大人が責任を持たず、問題の丸のままを子供に押し付ける、これこそが
教育の問題ではなかったのか?


88 :そろそろコテハン考えちう:04/01/22 00:40
国家の威信、国民の階層の中での現実、それが子供に伝わるなら良かろう
中国人が、貧しい人間達が「豊かになりたい」という観点を子供に託するのは
生活観から来ているものもある、「ガイアの夜明け」の提示している問題は、すくなくとも
その観点だった。中国で日雇いで働いている人間達の子供が通う学校、ここで子供たちは
親が貧乏であることを知っているし、「豊かになりたい」という一つの動機つけが教育熱に
結びついている。アメリカでは、移民のヒスパニック系の労働者の子供たちが高学歴の学校に
進学するという、アメリカならではの観点があったのかもしれない。


89 :そろそろコテハン考えちう:04/01/22 00:41
しかし日本はどうだろうか?私は学歴社会が、そのような現実が反映されているとはとても思えない
あるのは「高学歴社会」に対する大人の漠然とした流れではなかったか?
管理社会という観点ではなかったのか?なにより日本の社会の中で豊かになるという事の意味が
理解できていたのだろうか?


90 :そろそろコテハン考えちう:04/01/22 00:51
話がそれてしまったけれど、現実を受容して尚且つ子供たちに
「だからお前たちは、こうなって欲しい」ということを、いびつな形で語るのは
やめておかねばならないかもしれないけれど、子供たちに語っただろうか?
私たちは。
問題があることを、そのまま子供たちに丸投げしたからこそ、子供たちの混乱が
起こったのではないか?(繰り返しで申し訳ないが)

91 :そろそろコテハン考えちう:04/01/22 01:00
この国が、平和憲法を持っている国が、国の威信をかけて軍隊を持つ必要がどこにあるだろうか?
あるのは「この国はアメリカに従わなければならない」ということではないのか?
それが国益だということの中に、どこに夢があるのだろうか?
原理的に話したとして、「戦争なんか世の中からなくならない、だから軍隊を持っているんだ」
そういい切ることに、何か、肯定的で健全性があるだろうか?
それこそ問題を丸投げしているに過ぎないのではないのか?


92 :ねっ(w ◆hu.lPvKgI. :04/01/22 01:06
> 「この国には自衛隊という軍隊がある。でも自衛隊は太平洋戦争で過ちを
> 犯したことを教訓に、平和憲法を制定した結果、戦後は戦争をしていない、
> これは素晴らしいことだ」と

肝心なこと忘れているぞ。
憲法じゃ軍隊を持つことを禁止しているんだ。
矛盾している。

子供に話すんだぞ。
子供ってのは素直な発想で考えるからな。
戦争もできないのになんで軍隊が必要なの? とか、
軍隊をもてないはずなのになんで自衛隊はあるの? とか、
いろいろと聞いてくるぞ。

#どんな詭弁でごまかすつもりなんだ?

93 :ねっ(w ◆hu.lPvKgI. :04/01/22 01:09
ごめん、91読んでなかった。
問題を理解はしているようだね。

改憲派になるのも時間の問題かな。

94 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 02:39
ここでは私は「夢想の人」と呼ばれていますが、私なりに暇な時に具体的な案を
考えることがあります。
地域の商店街は寂れているそうです。私は詳細は知りませんが、全国各地でそんな状態があるらしい
話は変わりますが、福祉の関係の教授を知っている私は
「特別養護老人ホームなどは、どういうものが理想だと考えますか?」と聞いたことがあります
その時の、教授の答えは次のようなものでした


95 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 02:41
その教授は「街中で夕方一杯引っ掛けて、ほろ酔い気分で老人ホームに帰り、
そんな生活が出来ればいいかね」と言いました。
その教授の言うことを具体化するとすれば、商店街にデイサービスを作るという構想は
もしかして実践されているのかもしれませんが、なかなかいい案だと思いました。


96 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 02:46
商店街はもはや老人しか行かない、商店街では老人に配達したりしているなどという
話はよく聞きます。ですから商店街にデイサービスなどを作ればいいのです
そしてデイサービスでは買い物などは商店街でする、デイサービスで出される食事は
商店街の食材やから調達する、などという、安直な案もかなえられるというものです
デイサービスで使用する車をどのように調達するかはわかりませんが、介護タクシーを
もっと低価格で提供するような方法を考えるのもいいかもしれません


97 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 02:49
デイサービスでは、虚弱な老人しかいないので、思い切って対象範囲を広げるというのもいいかもしれません
そしてそこで地域通貨的なものを流通させることで、ボランティアを育成することもいいでしょうし、地域通貨の
意味を市民に知らせるのもいいのかもしれません
年取った人の価値観もこれからは変わってくるのかもしれませんが、商店街に「居酒屋」があるとしたら
価値観の違った老人達のニーズも、もしかしたら満たされるのかもしれません


98 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 02:57
商店街にはこだわりを持った専門職の人間達が、今後集まって来て店を出すかもしれません
パン屋、様々なこだわった小物を売る店、こだわりを持った陶芸のお店、
洋裁などの店、それらは点在していては、殆ど地域で生き残っていくことは難しいのかもしれません
しかし、商店街での、彼らのデイサービスでの献身的な「講座」はもしかしたら
老人達の、今後の生きる知的、趣味的好奇心を満たすかもしれません
なにより点在した専門店を、商店街に呼び込むための求心力となるかもしれません


99 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 03:04
全国で細々と展開している「うたごえ喫茶」なるものは、「商店街デイサービス構想」
で生き残れるかもしれません
今後は、老人達が好む歌は童謡などではなく、演歌か、フォークソングであることは間違いないのかもしれません


100 :共産党コンプレックス ◆jcP.WwKXoo :04/01/23 03:07
100

101 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 23:15
共産党コンプレックスというのはどういうことなのか分かりませんが
共産党というものがなぜ批判されるのか?
それは明白なことです
ソ連、北朝鮮、カンボジア、東欧諸国、これらの現実から考えるならば
日本人が共産主義を否定するのは当然なのです
共産党員はこのことをよくよく考えておく必要があります
日本共産党員は戦前の侵略戦争に命がけで反対した、そのことの意味は日本の
戦後を考える上で非常に重要な意味を持ちます。そのような組織がなかったら
今日の日本はどのようなものとなったか?そのこと又当然ながら考えておくべきことなのです


102 :名無しさん@3周年:04/01/23 23:16



103 :そろそろコテハン考えちう:04/01/23 23:24
加藤周一の講演で「戦争の時当時の政府は満州は日本の生命線だといったが
それは全くの嘘だった。満州が日本の生命線ならとっくに日本は滅んでいた。
全然違ったではないか、嘘つきめ!」みたいな話をしていましたが、これは
素朴で、実感のこもった言葉でした。
今日の日本政府の戦争に関する言葉は満州が日本の生命線であるという言葉と
同様に聞こえることでしょう
そし日本人はそのことが理解できるにもかかわらず、行動に表すことが出来なかった
(もちろん昨年の衆議院選挙では、日本人はそのことにもっとも批判的であったことが
証明できたわけですが)
このことは非常に重要なことです


104 :そろそろコテハン考えちう:04/01/25 00:38
共産党の大会が終りましたが党組織に関しても支部が主役と言う事の意味にしても
多くの人が、今後若い人間にとっては理解が出来ないことなのかもしれません
それは悲しいかな、共産党という組織が組織をどのように動かすかについての理解が
不足しているからです
不足しているというよりも彼らは日本の企業を批判しながらそれと同じような考え方を
持っているからではないのか?
企業社会は永遠であり、それに奉仕するのは人としての勤めだ。
このような感覚に裏打ちされた人間の組織はおよそ発展がありません
共産党の組織は、それに対する明確な提言を持っていなかった


105 :そろそろコテハン考えちう:04/01/25 00:44
人を助けるのにどんなふうにすればいいのか?
悩んでいる人間にどのように手を差し伸べるのか?
悩んでいる仲間とどんなふうに共同して組織を運営するのか?
それは、簡単なことであるにもかかわらず、多くの人間が踏み出せていないのです
会議は自由にするべきだし、自由な意見をまず出すべきです
自分たちがしたいことは何か?自分達はどんなふうに組織を運営してゆくのか?
そのことに関して、一つ一つ意見を自由に出している人間がいるでしょうか?
共産党にも役割があるでしょうし、それをやらなければならない事は当然です
しかし、そのことしか話し合わない組織には人を助けることなど出来ません


106 :えす ◆K0.exbTqcw :04/03/13 21:50
mattari

107 :名無しさん@3周年:04/03/13 23:20
>>98

鋭い感性ですね、的確です。
小生はあなたが書かれました文章に感銘を受けました。


108 :そろそろコテハン考えちう:04/03/13 23:54
あらあら
もうここ削除されたと思ったのに。
>>107
ありがとうございました。ほめられるのは初めてですね。
ちなみ>>98の関連では、厚生労働省の局長かなにかの勉強会で小規模
多機能ホームが来年の介護保険制度で具体化されるかもしれないということで
ことが書かれていました。私としてはその推移を見守っています。
まあ、あまり期待はしていませんが。


109 :そろそろコテハン考えちう:04/03/23 14:53
しゃべり捲くれ

私は君に抗議しようといふのではない、
−私の詩がおしゃべりだと
いふことに就いてだ
私は今幸福なのだ
したが廻るといふことが!
沈黙が卑屈の一種であるといふことを
私はよく知っているし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事も知ってゐるから−
わたしはしゃべる、
若い詩人よ、君もしゃべり捲くれ、
我々は、だまってゐるものを
どんどん黙殺して行進していい、
気取った詩人よ、
また見当ちがひの批評家よ、
私がおしゃべりなら
君はなんだ−
君は舌足らずではないか、
私は同じことを
二度と繰り返すことを怖れる、
おしゃべりとは、それを二度三度
四度とくりかえすことを云ふのだ


110 :そろそろコテハン考えちう:04/03/23 15:00
私の詩は読者に何の強制する権利ももたない、
私は読者に素直に
うなづいて貰へばそれで
私の詩の目的は終わった

私が誰のために調子づき−
君が誰のために舌がもつれてゐるのか−
若し君がプロレタリア階級のために
舌がもつれてゐるとしたら問題だ、
レーニンはうまいことを云った、
−集会で黙ってゐる者、
それは意見のない者だと思へ、と
誰も口を割つてまで
君に階級的な事柄を
しゃべって貰おうとするものはいないだらう
我々は今多忙なんだ


111 :そろそろコテハン考えちう:04/03/23 15:05
−発言はありませんか
−それでは意見がないとみて
  決議をいたします、だ
同志よ、この調子で仕事をすすめたらよい
私は私の発言権の為に、しゃべる

読者よ、
薔薇は口を持たないから
匂ひをもって君の鼻へ語る、
月は口をもたないから
光をもって君の眼に語ってゐる、
ところで詩人は何をもって語るべきか?
四人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもつて、しゃべり捲くるものだ

112 :そろそろコテハン考えちう:04/03/23 15:08
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
我々の結束をもつて、
仲間の力を持つて
的を沈黙させるほどに
壮烈に−

岩波文庫 岩田宏編 小熊秀雄詩集P89


113 :そろそろコテハン考えちう:04/03/23 15:09
>>的を沈黙させるほどに →敵を沈黙させるほどに


114 :名無しさん@3周年:04/03/23 15:19
山原健二郎
退官時に「私はまだ現役だから、『ご苦労さん』と言われるのが、
どうも苦手で……」と言いながら挨拶に立った。そして「土佐には、
鎧や胄を槍の柄にくくりつけて田の畦に立てておき、普段は百姓を
していて、ひとたび戦になると、この槍を持って馳せ参じる『地下
侍(じげざむらい)』という下級武士がいました。この地下侍たち
が、あの明治維新の原動力になりました。私の国会活動は、この泥
臭い地下侍の伝統を継いだものでありましたし、これからも地下侍
であり続けたい」――と。
合掌



115 :そろそろコテハン考えちう:04/03/27 16:58
社会と個人のあり方について私はよく考えます。
イチロー、貴乃花、高橋尚子、木村拓哉
私は彼らと同じ年ですが、少し前に、彼らのことがよくわかるようになりました。
それまでは彼らが同じ年だと知らなかったのですが、木村拓哉かが同じ年の人間と
話をしている番組があって、それに非常に共感できたのです。
彼らに共通しているのは異常なまでのこだわりよう、組織に対する考え方、であるような気がします
高橋などは、私はオリンピック前にマラソンにでる選手のインタビューで、明らかに彼女は違っていました。
彼女は練習のとき異常にこだわりがあり突き詰めて考え、その結果小出監督の下に弟子入りしたわけですが
彼らの何かに対する姿勢というものは、ある種異常です。しかし、私は彼らの云うことがわかるような気がしました。

彼らは突き抜けたかった、のだろうと思うのです。組織の中で。彼らは組織を意識しています。
(イチローと松井のインタビューを聞いたことがありましたが、イチローは異常なほどに組織というものを
意識していたように思えます。松井は、それに対してごく普通の回答をしていました)
一匹狼にはなっていない、社会や組織を意識しているし、積極的にそれを受け入れようともしている。
木村にしても貴乃花にしてもイチローにしても高橋にしても、ファンや社会に対してはかなりの思いを持っている
ように思えます。しかし、組織の中では、彼らは突き抜けたかった、そんなものはいらないものとして
切り捨てたかった、そんなきがするのです。
私たちは個人と社会のありようからどのように自分を適応していくのか、に関して絶えず考えさせられていたと思うのです。


116 :そろそろコテハン考えちう:04/03/27 17:06
社会をどんなふうにしていくのか
しかしその前に考えることがあります。私たちは社会や組織のあり方に関して
もっと考えるべきなのです。
単純で、あたかも当たり前のことのようなことにこそ実は変化するべき多くのことが
含まれています。
社会が個人主義になればなるほどそれは際立ってくるのです。
今社会のあり方を考えるとき、恐ろしいほどの無秩序が覆っています。個人の規範すら、
求めることが出来ないのです。それは社会が形成するものなのかもしれません。しかし
社会を形成していくときに突き詰めて考えてゆけば、個人の価値観の、転換すべきことが
あまりにも多く存在しているのです。私たちはそれに関して鈍感であるべきではないでしょう。
自分と社会とのかかわり方を理想的なものにするためにもっと自分たちの姿勢に敏感であるべきなのです


117 :名無しさん@3周年:04/03/27 19:44
さて、俺は四人の女のおしゃべりでも聞こうか
それで俺の発言を止めることが出来るならば
もし、今自分が社会の中で何処に立っているのか
何処からものを見ているのかを知りたいならば
もっとよく耳を澄ますべきだ。
多弁は耳を麻痺させ、口を鈍感にする。

118 :財前教授の総回診@そろコテ ◆auEy42rRqA :04/04/20 23:29
厚生省が小規模多機能ホームについて見当を行っているという話が少し前に
新聞記事に載っていましたが、ここで、老人ホームの今後を語ることは十分に
意味のあることです。
超高齢社会に向けての、社会基盤整備や社会の中での受け入れ方に対する考え方、
総じて超高齢社会に対する考え方は、どうしても日本では育ちにくく、また、
他の学問と同じように西欧の物まね、輸入学問として存在しています。
私たちが今後直面するであろうこの問題をどのように考えるのかは、切実であるにもかかわらず
問題にされないのです。


119 :財前教授の総回診@そろコテ ◆auEy42rRqA :04/04/20 23:35
私が日本の福祉、とりわけ高齢者施設に関する問題で考えるのは、
やはり全てが輸入学問、外国の制度を取り入れただけのものではないか
というものです。
老人ホームが高齢者施設として機能していない、それに代わるものが必要である、
もしくは高齢者施設のあり方を考える、というような議論の場合多くが日本人の感覚にあわないものです。
老人ホームがだめである、ということからケアハウス、グループホーム、ユニットケア型のホーム、
などといろいろと考え出されそのたびに厚生労働省は「これからはこれで行く」というような
話がなされましたが、いずれも頭でっかちで、現場を理解していないものとなってきました。
一部の話では「今までの老人ホームのほうがよっぽどいい」となる声さえあります


120 :財前教授の総回診@そろコテ ◆auEy42rRqA :04/04/20 23:38
ですが老人ホーム、今まで出一番よかったであろうといわれてきた
グループホームでさえも、行ってみればわかるのではないかと思われますが
「施設」にすぎません。とても「老いの住処」となるものではない。
それは何故か?
外国では、オーストラリアの痴呆ケアの実践では、多くの示唆、知見がある云々
というにもかかわらずに、です。
端的に行って何故違和感を感じるのかというとコンクリート作りであり、
個室だからです。


121 :財前教授の総回診@そろコテ ◆auEy42rRqA :04/04/20 23:45
日本人は木の平屋作りの家に住んできました。専門的なことはわかりませんが、
日本の木の家、今までの日本人が住んでいた家は平屋で、居室間の区切りは必ずしも
はっきりと分かれておらず、個の空間と共有空間があいまいではなかったのでしょうか?
障子を越せば隣にすぐにいける、くらいのものではなかったのか?
そして何より木のぬくもりと、白塗りの壁で囲まれた、空間であったのです。
そして家族の空間が絶えずあり、隣近所も存在が近かった。
コンクリートの壁で個人個人を分けた空間ではなかったのではないのか?


122 :財前教授の総回診@そろコテ ◆auEy42rRqA :04/04/20 23:52
福岡の有名な宅老所について番組があり、詩人の谷川俊太郎が出ていましたが
そこで見られた光景は、日本人が失ってしまったかのような、個人が曖昧な、
古い日本の生活の縮図のようでした。なにより木造住宅であって、木、白塗り壁で
囲まれていました。やはり日本人の生活というのはそういうものなのです。
西欧のグループホームがいいのは、マンション作りでもそこに住んでいる年寄りは
長年マンション作りに住んでいた、外国人なのです。そして彼らが自分たちの若い頃の
写真や絵を見て落ち着いているのは、写真などが当たり前で、普通だったからに他ならないのではないのか?
明治、対象生まれの日本人は絵を飾ったり、写真に囲まれる生活が果たして彼らの昔の生活を再現したものなのでしょうか?
日本人は、もちろん変化はあっただろうが、もっと違った空間で住み、生活してきたのではなかったのか?


123 :財前教授の総回診@そろコテ ◆auEy42rRqA :04/04/21 00:01
老人ホームにしてもグループホームにしても高齢者施設のあり方というのは
そんな単純な西欧と日本の違いから考えるべきではないのか?
普通の民家を改修した高齢者施設があるそうですが、小規模多機能ホームの実践と
いうのはそういうものであってほしい誰しも年老いて個室のマンションで暮らしたがる
人間はいないのではないか?日本人ならそういうものではないのかと
考えます。そして年老いた人間は、私の祖母祖父がそうであったように
威厳があって、働いてばかりいて、どうかしたら説教ばかりする、
私たちが失ってしまったものを持っていた、ある意味でのステレオタイプの
人間ではないのか、そんな風に思えるのです


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